太陽みたいな人のお話

赤色の椿 花火 太陽

エレファントマン備忘録

小瀧望くん、エレファントマンお疲れ様でした!!!

 

私も1公演だけ見に行ったんですけど、本当に凄かった。やっぱり生物の演技はいいね。舞台って最高。映ってないところも見れるんだもん。

 

エレファントマンは戯曲も映画もあるので見てから行こうと思っていましたが、時間が無く見れず小瀧くんの舞台で初めてストーリーを知ることが出来ました。それが寧ろ良かったのかもしれない。多分先に見てたら、小瀧くんが演じるメリックをまともに見ることが出来なかったと思う。あまりにも哀しくてどうしようも無い気持ちを抱えてみる余裕はなかったと思う。

 

それはそうと本当に小瀧くんのお芝居は素晴らしかった。ドラマではコミカルな役をやってる印象が強いけど、繊細な演技の方が向いてる気がするのよね…事務所が小瀧くんをどんな俳優に育てたいと思っているのかは分からないけど、シリアス方面の役もあるともっと役者としての幅が広がるんじゃ無いかなぁと。

 

小瀧くんの何が素晴らしかったか。まずこの役を演じる上での姿勢。戯曲にも

背中に問題のある者、過去にあった者は、不自然な格好のメリックの役を演じるべきではない。メリックの役を演じる者は、不自然なねじれた格好を長時間続けることで生じる問題について、医者の意見を聞いてほしい

とある。舞台を見た方なら分かると思うが、あの姿勢を2時間半続けることは簡単なことじゃない。パンフレットでも言っていたけれど、ウォームアップとクールダウンちゃんとやって、先生にも見てもらってるって。それくらいやらなきゃ体が持たないってことだもんね。それを稽古から合わせると約3ヶ月やってた小瀧くん。本当によく頑張ってたと思います。

 

あと、トリーブスに紹介されるシーンね。最初は「普通に小瀧望やん」って思ってた。でもゆっくりゆっくり体制を崩していくんです。だからちゃんと見ていないと「いつの間にかジョンメリックになってた」って現象が起きちゃう。一瞬でジョンメリックになって、最後の最後まで舞台には小瀧望じゃなくて、ジョンメリックが立ってた。3回目のカテコでやっと私たちの知る小瀧望くんがいて、安心したなぁ。

 

舞台そのものの素晴らしさも沢山あった。セットはシンプルですりガラスのセットが回転するだけなんだけど、そのすりガラスが大天才!もちろんメインは私たち見えてる方の人達の演技なんだけど、すりガラスの向こうでみんな演技してるんです。あれは舞台ならではの良さだと思うし、生で見た方がより魅入ることができたなぁという印象。

 

あと小道具。1幕で大聖堂のスケッチ描いてるシーンあるけど、上から見るとちゃんと書いてあるんです。白紙じゃない。そういう細かい作り込みが好きで2階からずっと見てたなぁ。

 

この舞台では色々気付かされるシーンあったけど、やっぱり最後のシーンで泣きそうになっちゃった。メリックが死んだ後、食事係が「エレファントマンが死んでる!」って言うんですよね。朝の時点では「メリックさん」って呼んでるのに。やっぱり「エレファントマン」とししてしか見られてなかったんだろうなぁと。

 

そこからロスにメリックが言い返すシーンのことを思い出しました。貴族の人達のことを「僕の友達だ!」と言い返すけれど、貴族の人達は本当に友達だと思ってたの?メリックと仲良くする自分に酔ってただけなんじゃないのかなぁと思ってしまったな。少なくとも無意識の優越感みたいなものを持ってたんじゃないかな。でもきっと私自身にもそういう所があって。結局人間は本当に愚かなんだよな。自分より劣ってるとみなした人には、優しくしてあげてると思ってんだよ。

 

トリーブスだってそう。「与えてやって」ってセリフ。対等に見てるならこんな言葉出ないよね、きっと。

 

でもそんなトリーブスも完全悪じゃないのよね。ちゃんと自分の夢の中で自分の悪い所に気づいてる。夢の中でトリーブスは自分のことを「伝染病」と表している。それ以前のシーンでメリックのことは「障害」と言っていることとの対比だよね。言葉を選ばずに言うと伝染病の方がより厄介なんだよね。見た目に出るのは障害の方が分かりやすいけど、伝染病は知らず知らずのうちに人にうつしてる。

 

例えばAがBを雑に扱うと、そんなに仲良くない人もその人のことを雑に扱ったりするじゃない?そういうのを伝染病って表してるんじゃないかなって思った。エレファントマンの中で言うと無意識の優越感とか上から目線みたいなもので、「可哀想なメリックを慰問することが流行ってるから行かなきゃ。メリックは可哀想だけど私たちはがいることで幸せだよね?」って感じた。結局自分が主役でメリックは自分を高めるだけの道具でしかないと思ってしまってるんじゃないかと感じてしまった。

 

トリーブスはそれに気づいているけど、認めたくないんだよ。自分より劣っていると思っていたメリックがどんどん成長して、自分の言う規範の中から外れるのが嫌なんだよ。「可哀想なメリック」であって欲しかったんじゃないかな。自分の規範をオウム返しするだけのメリックが扱いやすかった。だから自分の中の規律を破ったケンダル夫人をメリックに会わせなくなった。それをメリックの為だと信じて疑わずに。

 

トリーブスも含め、メリックと自分は似ていると言っていたけれど似ている部分を無理矢理探して、メリックを育てて磨き上げた自分を見ているだけだったんじゃないかな。だから結局メリック自体を純粋に見ているわけじゃなかったと思う。

 

あと私が圧倒されたのは近藤公園さんの演技。最初は自信満々だったけど、段々と弱くなっていくトリーブス。見ていて心が痛かったし、正に見ている私たちを映している鏡だったんじゃないかなと思った。自分の正しいや普通が間違っていることが沢山あるんだなぁと思いました。

 

特に印象に残っている言葉は「慈悲深いことがこんなに残酷なら、正義のためにはどんなことをするんです?」というセリフ。優しいメリックは正義のためにどんなことをすると思ったんだろうか。

 

あと配信だからこそ気づけたこともあって。最後のシーンで食事係が腕に喪章を付けてるってこと。賢いメリックはきっとあの時のウィルのことを覚えてるだろうから、彼の妹の死を伝えるのはどうなのかなぁって思ってたら、そこも細かく演出してるんかい!と驚いた。生の舞台も配信もいい所は沢山あるなぁと再認識した次第です。

 

パンフレットで森さんも言っていたけれど、1人で考えたくなる舞台でした。語り合うのは違うかなぁ、人の解釈は見たいけれど。たくさん疑問点はある。特にトリーブスが最後に付け加えたかった言葉。大したことじゃないって言っていたけれど何なんだろうな。答えが欲しいけど、私たちに想像の余地を残して考えさせるまでがこの舞台なんだろうな。でもみんな解釈教えてね!

 

最後にもう一度言いますが、本当に素晴らしい舞台でした。やっぱり小瀧くんは素晴らしい役者さんで色んな人に認められるべき人です。これから沢山小瀧くんが輝ける舞台が準備されますように!

 

 

 

 

※映画版のメリックを演じてるジョン・ハートってダンブルドアだったんだね…衝撃的でした。舞台が終わったあとに映画版も見たのですが、映画と舞台ではストーリーが少し違うので、新しい発見もあると思います。「僕は動物じゃない、人間なんだ」と言うシーンは心にくるので見ることをオススメしたいです!